【浅草 観光】浅草寺 雷門の由来はだれもが知っているアレだった?!

 

 

はじめに

 

皆さんこんにちは、こんばんは。

techblogchan(  @techblogchan )です。

 

あるよく晴れた日、浅草を散歩をしている最中のことです。

 

信号待ちをしている私の耳に、人力車を引くお兄さんが乗客にこんなことを尋ねているのが聞こえて来ました。

 

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『お客さん、なんでこれが雷門っていうか知ってますか?』

 

『あ、知らないんですね!』

 

『いや、実は僕よくこの質問するんですよ...』

 

『聞いたら「そんな単純なことなのか!」ってなるので、是非今日は覚えて帰ってくださいね!!』

 

そんなかんなで小耳に挟んだ話をこれからします。

 

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【浅草 観光】雷門の由来

 

『正式名称「風神雷神門」の省略形』

 

ぶっちゃけてしまうと、これが全てです。

 

浅草のランドマークである「雷門」とは略された後の名称だったのです。

 

最初知った時は「え、それだけなの?」ってなった!

 

昔の人が

『「風神雷神門」って長くね?もう「雷門」で良くないスカ?』

みたいなノリで省略されていったのですかね。笑

 

さて、なぜ「風神雷神門」なのかというと

 

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こちら写真の浅草寺 雷門に向かって

 

右側が「風神様」

 

左側が「雷神様」

 

となっています。

 

『「風神様」と「雷神様」が門番として存在しているので「風神雷神門」』

 

単純明快ですね!

 

これは余談ですが

風神様はもちろん「風を司る神」なのですが、これは複数あるうちの1つの定義なのです。

他にも実は「風邪を流行させる疫病神」というマイナスイメージも併せ持っているみたいです。

 

人力車のお兄さんも言ってたけど、意外と雷門の由来は知らない人が多いから知っておくといざという時に役立つかも!

 

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【浅草 観光】雷門の興り

 

由来を勉強したので、少し雷門の興りについても勉強しておきましょう!

ここからは人力車のお兄さんの話ではないです!

 

「雷門」はとある漁師の兄弟から始まった

 

飛鳥時代、推古天皇36年(西暦628年)ある漁師の兄弟が投網の中に一躰の仏像(聖観世音菩薩)を発見した後にそれを持ち帰り、里の童子たちが草でつくったお堂に祀ったことが興りと言われています。

 

実は何回も投網にかかっていたらしくて、持ち帰るまでは水中に投げ返してたらしいよ。それでも仏像を持って帰ったのは投網を何回しても、する場所を変えても、何回も引っかかってしまい肝心の魚が獲れなかったからなんだって!

 

【おまけ】「雷門」の有名なエピソード

 

長久2年(西暦1041年)12月22日に大地震が発生し、浅草寺の堂舎はあらかた倒壊しました。

その後、寂円上人という修行僧が頑張って再建したのが、永承6年(西暦1051年)です。

 

悲劇はここからです。

なんとそのわずか28年後の承暦3年(西暦1079年)12月4日、原因不明の火災により再び、倒壊してしまうのです。

この時、尊像は自力で本堂から避難したという伝承が残っています。

 

この短いスパンでの雷門の被災はよく聞くエピソードだよ!

 

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【浅草 観光】雷門の由来 まとめ

 

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上の写真は雷門を後ろから見た写真です。

「風雷神門」とあるのがわかりますね。

皆さんも浅草を訪れた際には後ろからこの文字が提灯に刻まれていることを確認してみてください!

 

さて、今回は『【浅草 観光】浅草寺 雷門の由来はだれもが知っているアレだった?!』と題して、東京観光では必ずと言っていいほど候補に挙がる「雷門」の由来や興りを紹介しました!

 

POINT
  • 「雷門」は「風神雷神門」の省略形

 

豆知識を得て、浅草観光をもっと楽しんでくださいね!

 

それでは、また別の記事で〜

techblogchan(  @techblogchan )でした。